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抗がん剤治療開始 [食道がん]

2月5日(火)
 昨夜はなかなか眠れなかった。疲れているはずなのに、やっぱり緊張していたのだと思う。夜中に何度も目が覚め、点滴スタンドと一緒にトイレに2回行った。朝食は完食。

 そしてきょう、吐き気止めや腎機能をよくする点滴、そしていよいよ昼過ぎからシスプラチン、終わったらフルオロウラシルの抗がん剤が体に入ってきた。取り扱う看護師は手袋、顔にもシェードを付けている。いかに劇薬かが分かる。これから4日間、一緒にがんと戦う相棒だ。仲良くしなくては。午後、少しだけ頭がぼーっとしたが直に治まった。薬のせいなのか、少し上がっていた血圧のせいかは不明。夕食も完食。まだ大丈夫だ。ただ尿が頻繁に出るので点滴スタンドを電源から抜いて動かなくてはならないのがおっくうだ。

 朝から会社の同僚や友人からメールや電話がきた。全社的に話が広がってきたのだろう。心配や迷惑をかけて申しわけないけど、自分の体より大切なものはない。そこは理解してもらえているようだ。まあ、理解していない人は連絡してこないだろう。

 さあ、明日の体調はどうなることやら。

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入院 [食道がん]

2月4日(月)
 けさ入院した。最初に放射線療法の説明を受けた。3回目の説明だが、副作用が出ることは3人の医師から十分に伝えられた。重篤な場合もあるという説明が必要なことは分かるが、やっぱり怖くなってしまう。
 そして治療室へ。リラックスできるよう音楽が流れ、天井には青空の絵。体に印を付けられて写真撮影の後、放射線が当てられたのは約2分。もちろん何も感じない。じわじわと副作用が表れるのだと説明は聞いている。
 入院したのは4人部屋だった。個室に空きがないらしいが、周りに気を使わなくてはならないのが辛い。看護師や薬剤師の説明を聞き、おいしい昼食をペロリとたいらげた。午後は心電図とレントゲン。職場の先輩から励ましのメールも届いた。やることがなくなったので妻は家に帰り、いまパソコンに向かっている。WIFIがつながるのがうれしい。時間つぶしができる。

 時間ができたのでこの1週間を振り返っておきたい。先週は3日続けて、大学病院で照射する患部へのクリッピング、エコー、CT。検査最終日の夜は職場の同僚が壮行会を開いてくれた。そして手紙とお守りをもらった。いい仲間に恵まれている幸せを感じずにはいられない

 そして金曜日。意識がないまま入院中の親友を仕事帰りに訪ねた。ICUを出て個室に入っているが、元気な男だったのでその姿を見せたくないだろうと家族以外は部屋に入れていないのだという。でも奥さんが特別に入れてくれた。ベッドの周りで家族といろいろな話をしているうちに血圧が下がり始めた。上が40、下が30。しかし病院側もそれほど慌てていない様子だったので、奥さんもそんなに心配しておらず、「もう帰っていいよ」と言ってくれた。彼の手を握り「また来るから」と言って病院を出た。
 クルマで戻っている途中、奥さんから「いま危篤」とLINEが来た。びっくりして「すぐ戻る」と返し、引き返していると「亡くなった」…。病室に戻ると奥さんが涙を流しながら「きっとあなたが来るのを待っててくれたのよ」と言われたが、自分も今でもそう思う。
 翌日は肩を骨折した母親の手術に付き添い、きのうは親友の通夜。葬儀には出られないことを伝えていたので弔辞を頼まれた。心を込めて書いた別れの言葉を読み上げて彼にささげた。多くの人たちが参列してくれ、彼の人となりをあらためて思ったことだった。帰り際に奥さんにあいさつすると「きっとパパが守ってくれるから大丈夫」と逆に励まされた。親友がついてくれていると思うと心強い。

 さあ、明日から抗がん剤治療が始まる。苦しいのは覚悟している。親友の分まで人生を楽しむと別れのあいさつを送ったのだから、絶対に負けられない

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災いには負けない [食道がん]

1月28日(月)
 苦しい毎日が続く。これでもかと次々に襲ってくる災いに、入院前に心が折れてしまいそうだった。

 まず自分の食道がん。リスクの大きい放射線化学療法を選択したが、情けないことに若い主治医の脅しに怖さは尽きない。そんな悩む日々が続いていた先週の金曜日、大の親友がクモ膜下出血で倒れた。手の施しようがないということで今も生命維持装置で生きながらえている。高校時代から大学、社会人となっても一緒にいろんなことをやって同じ時間を共有してきたかえがえのない親友だ。彼が逝ってしまったら、悩みを正直に打ち明けられる相手がいなくなってしまう。この先の人生でも真に頼るべき友人がいない、といっても言い過ぎではない。考えるほどに悲しくなって何度も涙を流した。言おう言おうと思いながら病気のことはまだ伝えておらず、それが良かったのか悪かったのか分からない。伝えていたらきっと心配してくれたはずだ。

 それから妻の体調もおかしくなってしまった。昨年からたくさんのストレスを抱え、自分の病気がとどめを刺してしまった。入院中が気がかりだ。それに浪人中の息子。昨年秋に大学を中退して家に戻り、遅いかもしれないが再受験の勉強を始めていた。父親、母親がこんな状態でこのところ勉強に身が入らないようだ。
 そして今日、年老いた母親が入院した。肩を複雑骨折して手術のために6週間の入院となる。ろくに見舞いにも行けないかもしれない。親不孝な息子である。

 入院の日が決まったことと苦しい状況を伝えるため、尊敬するTさんにメールを出した。「心中察します。気持ちを強く持って、病に打ち克つことが周囲の難をはらうと信じて立ち向かいましょう」と返事がきた。

 そうだった。自分にはまだ手を差し伸べてくれる人がいる。弱気にすっかり負けていた。このままではますます病気をのさばらせてしまう。病よりも自分の弱さにだけは絶対に負けられない。災難を追い払ってみせる。

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主治医 [食道がん]

1月21日(月)
 朝から大学病院へ。化学放射線療法に決めたため、主治医となる消化器内科のS医師との面談だ。年齢は30代か、パーマをかけ、ひげもちょんちょんと生やしたおしゃれなイケメン先生である

 ただ、このセンセイには初対面のときからネガティブなことばかりを植え付けられた。画像を見ただけなのに「内視鏡切除は無理」「手術を勧める」「すぐに禁酒を」などなど。内視IMG_1253.HEIC鏡検査をするときは麻酔で眠らせてとお願いしたら「目が覚めなかったら病院の責任になりますから」「昔は麻酔なしで検査していたんだから」とか、患者目線とはかけ離れた物言いだった。そんな上から目線のせいで悪い印象を持っていたが、2度目に会ったときに手術にためらいがあることを伝えると「どうしてもというなら内視鏡で切除をします」と言い、丁寧な説明をしてくれた。まだ若いから、最初はなめられないような態度を取っていたのかもとの妻の見解で納得した。だから、こっちが信頼している姿勢を見せていればそんなに嫌な奴じゃないはずだと思うようにしたい。
 そしてきょうもネガティブ発言を連発してくれた。「抗がん剤はとても苦しいです」「手術をしないことを後悔しますよ」。いや、後悔はしないよと思いつつも心が折れそうになったのは事実だ。せめて励ましてくれると患者としてはうれしいのに…。入院の日にちを決め、看護師や事務職員からいろいろな説明を受けて病院を出た。もう2週間しかない。

 きのうはパワースポットで有名な神社へ妻と出向き、前厄の払いをしてもらった。ご神木にも触ってパワーをもらったはずだ。

 家ではついついネットを見てしまい、食道がんの恐ろしさ、化学放射線療法の副作用の苦しさなどに余計な心配が募る。正直言って怖い。しかし立ち向かうしないのだ。気楽に、そして前向きに過ごしたい。

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もう決めた! [食道がん]

1月16日(水)
 放射線科の医師に話を聞く日。きょうも妻と9時すぎに病院に到着。
 名前を呼ばれて診察室に入ると、担当医師のほか医学生2人、看護師1人が同席していた。勉強のためだろうが、いろいろ経験して信頼される医師になってもらいたいものだ。

 放射線の医師はよく通る大きな声で明快に説明してくれた。こんなに分かりやすい説明は初めてかもしれない。6週間の入院で計30回の放射線を胸骨付近から患部まで、リンパ節を含む部分に照射するという。聞いた限りでは重篤な副作用の心配はなさそうだった。併用して抗がん剤治療をするが、こちらの脱毛などの副作用の方が心配になった。およそ1時間、医師はほとんどしゃべりっ放しでおかげでホントによく理解できた。この先生なら任せてもいいかも。

 その後、消化器外科へ。たまたまT医師がいたため診察室へ。前々から考えていたように、手術は選択しないと伝えた。T医師はこちらの考えを尊重してくれ、無事に治療が終わるようにとそんなことを言ったと思う。そして来週に内科のS医師の診察の予約まで取ってくれた。このT医師も患者の立場になってくれるとてもいい先生だと思う。

 午後から出社。まだ伝えていなかった同僚に話した。「早期だから大丈夫。入院中は迷惑を掛けるけど申しわけない」と明るく伝え、みんなもそう暗くはならずに理解してくれた。さらに直属の上司にも声を掛けた。食道がんで1カ月半ほどの入院になると伝えると、同じがんで親せきが亡くなったらしく大変さを分かっているせいかかなりびっくりしたようだった。年度末の人事異動も控えているため術後の体調などを心配してくれたが、病院で詳しく聞いてくるということでまた次の機会に話すことになった。

 夜は新年会。飲んで騒いで楽しい時間を過ごした、時々がんのことが頭をよぎったが、もうどうにもならないし深く考えるのはやめていた。2次会のカラオケで酔った後輩Aが近寄ってきて「絶対戻ってきてくださいよ!さあ一緒に歌いましょう」と元気をくれた。Aは先日の飲み会でも帰宅した後にメールをくれて「退院したらまた一緒に仕事をしましょう。絶対に!」なんて泣きそうな文章を送ってくれた。こんな言葉が何よりの励ましになる。ありがとう。

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